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日記リレー

【日記リレー2025 vol.27】 「努力のベクトル」~吉田一生(4年/経済学部/C/慶應義塾ニューヨーク学院)~

一緒に飲んでいて酔うと、俺の携帯を奪って自撮りを何枚も撮る山田からバトンを受け取りました、吉田一生です。

そろそろ写真フォルダを整理して、酔った彼の自撮りを消す作業を始めようと思います。

山田との思い出で一番印象に残っているのは、彼が当時付き合っていた彼女と別れた日に一緒にドライブしたことです。彼女の様子がおかしいことに気づき、今日別れるかもしれないと悟った彼は、なぜか俺を誘拐し、行き先も決めずに高速道路の終点まで走りました。しばらくすると、彼女から長文のお別れLINEが届き、自分では読めないという彼の代わりに、俺がそのメッセージを読むという、よくわからない一日でした。

社会人になったら、さすがにそんな誘拐ドライブはできないと思うので、次に付き合う人とは末永くね!

はじめに、平素より弊部に関わってくださっている関係者の方々へ心より感謝申し上げます。皆様のサポートのおかげで、恵まれた環境でラクロスができていることを日々実感しています。今後とも変わらぬご支援、ご声援のほどよろしくお願いいたします。

大学内で知り合った人に自己紹介で「ラクロス部に所属しています」と言うと「カッコイイ!」と返されたり、就活などで会った他大学のラクロス部の人から「慶應ってキラキラしてるよね」と言われることも多かったです。確かに、慶應ラクロス部が特別な見られ方をしていると感じる場面は多くありました。

ただ、そんなキラキラして見えるチームの中にも、自分のようにそのイメージとかけ離れた選手生活を送ってきた人間もいます。だからこそ、自分なりに残せるものがあると思い、まずは自分がどんな選手生活を送ってきたのか、振り返るところから始めたいと思います。

[高校]
慶應義塾NY学院に入学後ラクロス部に入り、一年目からロングとしてリーグ優勝を経験した。二年目以降はチームを引っ張れる存在になりたいという強い気持ちがあったが、コロナと学校方針の変更により、高二・高三のシーズンは消えた。実質的にプレーできたのは一年だけで、しかもメンバー入りできた理由も「ディフェンスの人数が足りなかったから」という感覚が残り、実力に自信を持てないまま引退した。

慶應義塾大学のラクロス部が強いこと、そして高校で「この人たちなら大学でも続けるだろう」と思っていた一つ上の先輩が誰も大学で続けなかったこともあって、自分には無理だと感じ、大学ではラクロスを続けないつもりだった。

[大学一年]
大学では別の部活やサークルに入るつもりだったが、家族、NY校の先輩、そして春海に背中を押され、「大学でも挑戦してみよう」とラクロス部に入部した。

ただ、入部時期が遅かったため経験者としてではなく、大学からラクロスを始める選手たちと一緒にアーセナルとしてロングではなくショートスティックでの練習がスタートした。最初は経験者としてのアドバンテージがあったが、すぐに追いつかれ、試合を重ねるごとに人事評価は下がっていった。

挑戦的なプレーをすれば人事がさらに落ちると思い、右手ばかりを使った縮こまったプレーになり、最終的にコーチから呼び出され「一生をどう試合で使えばいいかわからない」と言われるまで評価が落ちた。

課題やノルマは真面目にこなし、練習も休まなかったのに思うように成長できず、次第に「真面目にやってるのに評価してくれない」「嫌われてるのか」と、余裕がなくなるたびにコーチのせいにするようにもなっていった。

自分が試合に出るにはディフェンスしかないと思っていたが、サマー大会では水口がDF固定となり、自分はほとんど試合に出場できず予選敗退。その後ロングに戻った。同期の怪我や授業抜けが重なり、ロングの人数が少ない練習が増えた。

自分も股関節の痛みを隠しながらプレーしていたが、「ロングの数が足りないから一生が練習に出てくれて助かるよ」と言われることが嬉しかった。サマー大会では試合にほぼ出られなかった自分が、長くフィールドに立てること、チームから必要とされることが嬉しく、やっと自分の居場所ができた気がした。

しかし限界までプレーした結果、ウィンター大会後には痛みが悪化し、寝るのも辛いほどになり、病院で検査した結果、診断は両恥骨の疲労骨折だった。自宅療養が必要となり、嬬恋カップなど一年生の大会には出られず、同期の活躍をただ見つめるだけだった。

[大学二年]
自分が休んでいる間に同期が成長し、大学でも入部予定の経験者の塾高生も練習に参加し始めた。「これ以上休んだら自分の部での存在意義がなくなる」と焦り、医者の指示を無視して無理やり復帰した。

痛みを我慢してプレーしていたが、四月に行われたBCスクリメでBの選手と強く接触した。立ち上がろうとしても足に力が入らず、再び倒れた。フィールドの外に運ばれ、横になりながら試合を見続ける中で何度も足を動かそうとしては激痛が走り、焦って復帰した自分を深く後悔した。

あのとき感じたのは、怪我の痛みよりも「自分の選手人生は終わったかもしれない」という絶望だった。

診断は股関節の骨折。再び長いリハビリ生活に入り、コーチからは練習に参加していない期間の動画反省の提出を勧められたが、動画で同期が上手くなる姿を見るのが怖く、ほとんど見られなかった。

夏合宿前にようやく全メニューに復帰し、10月の育成リーグを終えて2年目のシーズンを終えた。

「自分は選手を続けることはできない」
股関節の骨折での自宅療養を終えてグラウンドに戻ったとき、同期や後輩の成長との差を痛感した。

学生主体のチームである以上、学生コーチを数名選ぶ必要があり、Aで活躍する増田・関根、アーセナル同期の志翔、Bで経験を積んでいた水口・叶大の姿を見て、「自分はコーチになるんだな」と感じ始めた。
全体LINEで流れる人事ではいつもCの一番下。努力しても序列が変わらない現実に、自信はどんどん失われていった。

本気で競争し続ければまだチャンスはあったかもしれない。でもそれ以上に、「結果が出ない自分をこれ以上見たくない」「期待して頑張って、結局Aに上がれない自分と向き合いたくない」という思いが強かった。

そこからはただ部に行くだけの日々。最低限のノルマはこなしたが、「成長のための努力」はしていなかった。

備品車を積極的に担当したり、授業に出られない上のチームの同期のために授業内容を共有したりなど、選手としては意味のない行動で心理的安全だけを求めていた。気づけば自分はチームの一員でありながら、どこかチームの「外側」に立っているような感覚になっていた。

選手を続けられない理由を自分で作り、それに納得して楽になろうとした。でも実際は何も楽ではなかった。

同期が肩を組んで歌う「若き血」を応援席から見て、観戦に来た知人とユニフォーム姿ではない自分が会うたびに湧く無力感。そして何より、家族にAで活躍する姿を見せられない罪悪感の方が辛かった。

それでも、選手として続けたいという熱は徐々に消えていった。

[大学三年]
三年が始まり、最初の人事はCスタート。同期のDFはA・Bに振り分けられ、自分は一番下からのスタートだった。

それは努力不足を考えれば妥当だったが、同期が活躍していく姿を見る苦しさ、「自分は部に必要なのか」という疎外感、そして例えコーチになっても熱量を持って指導できると思えず、部活を辞めようと本気で考えた。

それでも家族、先輩、同期からの説得もあり、「ここまで続けてきた2年間を無駄にしたくない」と踏みとどまった。

ここから少しずつ変わった。「これ以上下はない」と開き直れたことで、コーチからの指摘を素直に受け入れられるようになり、挑戦的なプレーも増え、一番成長できた時期だった。
3年目にしてようやくBチームに入る機会も得たがAには届かず、BCを行き来した。Cで出来ていたことがBでは通用せず、Aに入るために何を考え、どこを伸ばすべきかがまだ整理しきれていないと感じる時間が多かった。

三年のシーズンが終わり、四年に向けた学年ミーティングでアーセナルDFコーチになることが決まった。選手として活躍するために入部した自分だったが、この選択に迷いはなかった。

コーチという役割そのものは決して逃げではない。
ただ自分は、「組織の都合で仕方なく選ばれた」と言えるほどの努力を積めていなかった。
だからこそ、辞めるかコーチになるかの二択しか残っておらず、その中で選んだ選択肢だった。

それでも最後の一年は、コーチとしてこれからの慶應ラクロス部を引っ張る選手を育てたいと思った。 選手として活躍すると信じて支えてくれた人たちへの恩返しは、この役割を逃げずにやり切ることだと感じた。

自分がコーチになるまでの3年間を振り返ってみたが、同じような3年間を過ごしたくないと思う選手がほとんどだと思うし、後輩たちにはもっと輝かしい生活を送ってほしいとも思う。ただ、自分が経験したことのいくつかは、同じような経験をした、もしくは今後経験する選手がいると思う。だからこそ、自分なりに失敗を振り返り、「これを直していたらもう少し良い選手になれたのではないか」と思うことを残したい。

「努力のベクトルがズレると、成長は止まる」

選手時代、よっぽどのことがない限り練習には出て、壁当て動画の提出や筋トレのノルマもこなし、少し気になる怪我があってもグラウンドに立ち続けていた。外から見れば、真面目で頑張っている選手に見えていたのかもしれない。でも今振り返ると、その努力の多くは上手くなるためではなく、評価を落とさないために向いていた。

壁当てでは苦手な左を避けて右手ばかり、直すべきクロスワークにも向き合わず、筋トレも得意な足トレだけに偏ったり、ベンチプレスの重量も少し抑え、ノルマの回数をこなすためにジムに行くことが目的になっていた。1on1も、その日に何を直すか決めず、ただ回数をこなすだけだった。量は積んでいたが、質の部分では自分を変える努力になっていなかった。

怪我を抱えながら練習に出続けていたのも、「休んだら評価が下がるかもしれない」という不安が大きかったからだ。だが実際は、怪我で動きが悪くなり、怪我前にできていたプレーもできず、焦りと苛立ちでプレーが雑になり、さらに評価が下がるだけだった。

こうして自分は、本質的な成長とは関係のないところに時間とエネルギーを使っていた。頑張っているように見えていただけで、実際は自分を変える努力ではなかった。選手3年間を通して痛感したのは、努力は「どれだけやったか」ではなく、「何に向けてやったか」で結果が決まるという、当たり前だけど忘れがちなことだった。

「序列に囚われると、心もプレーも縮んでいく」

自分はずっと人事評価に心を奪われていた。Cの一番下に自分の名前を見るたびに、まるで自分の価値まで低くなったように感じ、同期がAやBで活躍するほど、その差ばかり気になった。焦りと劣等感は積み重なり、プレーや考え方にも強く影響した。

失点の話し合いでも、本当は共有すべきポイントがあるのに、「自分が悪いです」と自分で話を終わらせてしまうことが多かった。そう言えば、それ以上ミスを深掘りされないし、その場の空気も早く収まる。でも、それは向き合うべき課題から目を背けただけで、成長の機会を自分で手放していた。

序列を気にしすぎると、ミスそのものよりも評価が下がることが怖くなる。すると、安全なプレーばかり選び、挑戦する回数が減り、プレーはどんどん小さくなる。「自分は下のチームだから、上の選手と対等に意見を言う資格はない」という思い込みも、自分の成長を大きく止めていた。

本来ラクロスは、ミスを共有し、ぶつかり合い、改善し続けるスポーツだ。なのに自分は序列に縛られ、その成長の入り口に立つことすらできていなかった。

今思えば、練習ではもっとミスすべきだったし、もっと挑戦しておけばよかった。練習中のミスなんて、周りは自分ほど気にしていなかったはず。でもそう冷静に思えるのは、序列に縛られないコーチになった今だからであって、当時は到底そう考えられなかった。

序列を気にするほど挑戦できなくなり、挑戦しないから成長しない。成長しないからさらに序列が気になり、自信がなくなる。そんな悪循環の中で、自分は長い時間を過ごしていたと思う。

本当に見るべきだったのは、自分の序列ではなく、どれだけ自分の弱さを素直に認め、苦手に向き合えたか。その積み重ねが必要だったと、今は心から思う。

「四年間を後悔で終わらせないために」

もっと自分がラクロスが上手くて、必死に頑張っていれば、今教えているアーセの選手たちにもっと良い指導ができていたはずだと後悔する日が多い。

「どうせ頑張ってもAには行けないだろう」
そう思って、いろいろな欲に負け、ラクロスを疎かにしたことは何度もあった。大学生活の中で、ラクロス以外にその瞬間は魅力的に見えることはいくらでもある。

しかし今振り返ると、それらの多くは案外大したことではなく、引退してからでも普通にできることばかりだった。どうしてもやりたいなら、いっそ部活を辞めて時間を作るという選択肢の方がすっきりすると思う。実際、部活を辞めた同期の中には、毎日を充実させている人もいる。ラクロスを続けることが正義ではない。

もし自分と同じように「どうせ自分は下の方の選手だから、最後はコーチになるんだろう」と思いながら、高い目標を立てず、ただ部活に参加しているだけの選手がいるのなら、そのまま過ごすのは本当にもったいないと思う。自分のような中途半端な覚悟で過ごしてしまえば、結局何も得られないまま終わってしまうし、自分のような背景を持つコーチに教えられる選手は、正直言って気の毒だし、部が本気で強くなるためには、そうした存在は必要ないと思う。

もし、部活を辞めたいほど夢中になれる別のものがないのなら、まだ部に残りたい気持ちがあるのなら、そして「もっと上手くなるためにやるべきことはある」と少しでも感じるのであれば、その「やるべきこと」に必死に取り組んでほしい。その方が絶対に人間としてかっこいいし、引退したときのモヤモヤも少しは軽くなると思う。

自分はこれからも「選手としての3年間はダサかったな」と思いながら、残りの人生を歩んでいくことが確定している。ただ、この文を読んだ後輩には、同じような後悔をしてほしくない。

お前が言うなと思われることを承知の上で、強く伝えたい。
「四年間という限られた時間で、ラクロスに必死に取り組んでほしい。」

ただし、自分が今できる範囲で必死になってほしい。もし過去に戻れるとしても、両恥骨疲労骨折を抱えていたあの頃の自分に、明日からジムに行ってスクワットをやれ、とは言わない。

せっかく部活に入り、毎朝まだ外が暗いうちから起きて練習に向かっている四年間だ。
その時間が後悔で終わってしまうのは、本当にもったいないと思う。

大学一年生の時、自分で覚悟を持って選んだ道だからこそ、その選択を後悔のないものにするために、どうか必死に向き合ってほしいと心から思う。

ここからは恒例の感謝コーナーです。

感謝を伝えたい人が本当にたくさんいますが、とても書ききれません。本当にごめんなさい。この場で全員の名前を挙げることはできませんが、LINEや直接会ったときに改めて伝えられたらと思います。

長くなってしまったので、名前が見当たらなかった人は、一番下の千晶の紹介文だけでも読んでください!

お世話になった先輩方へ

慶治さん
 慶治さんのお母さんと祖母に繋がりがあり、NY校入学前に慶治さんとお会いする機会がありました。その時にラクロスの魅力を教えていただき、ラクロス部に入ることを決めました。今ではラクロスに出会えて本当に良かったと心の底から思っていますし、そのきっかけをくださった慶治さんには本当に感謝しています。今後、春海とお会いする機会がある時は、自分も一緒に参加させていただけると嬉しいです。

颯太さん
 NY校ラクロス部に入部してすぐ、「身長高いしロング向いてるんじゃない?ロングなら一年目から試合に出られるからやろう!」と颯太さんに声をかけられ、そのままラクロスショップでロングクロスを買い、自分のDF人生が始まりました。番号まで受け継いだのに選手として活躍できなかったことが申し訳なくて、颯太さんが引退されてから何度か姿を見かけても、声をかけることができませんでした。本当はお話ししたいことがたくさんあるので、ぜひ一緒にご飯に行かせてください!

旭さん、玉置さん、荒井さん、清水さん、加賀さん
 自分もアーセナルのコーチになって思いますが、もし自分のような選手を指導するとなったら、本当に扱いが難しく、どう向き合えばいいのか分からなくなると思います。そんな自分を見捨てず、最後まで指導してくださり、本当にありがとうございました。先日開催したPRIDEアーセナル会には最後しか参加できず、あまりお話しできなかったので、また次に会が開催された時は、たくさん話させてください!

ぐろさん
 仏みたいに優しい黒さんに甘えてしまい、怪我で気持ちに余裕がなく、思うように成長しない自分は不貞腐れた態度ばかり取ってしまい、迷惑をかけていたと思っています。本当に申し訳ありませんでした。本当はC打ち上げで直接感謝を伝えたかったのですが、黒さんが参加されず、それが叶いませんでした。近いうちにご飯を企画するので、その時は絶対参加してください!花岡も呼びます!

牧さん
 このままCにいるだけの選手人生で終わるのかと思っていた三年の時期に、牧さんの推薦のおかげで何度もBで練習する機会をいただき、あの経験を与えてくださったことに本当に感謝しています。さらに、牧さんの引退ブログにあった「一生なら最高のARSEを作り出せると思います」という言葉は、今コーチとして頑張れている大きな支えになっています。本当にありがとうございました。

アーセナル選手たちへ
 自分がラクロス部を途中で辞めなくて良かったと思えるのは、間違いなくみんなのおかげです。自分の選手としての実績に関係なく、積極的に頼ってくれることが本当に嬉しくて、少し生意気なところもあるけれど、それも全部含めて可愛く思っています。あと数週間しか一緒に活動できないと思うと寂しさもありますが、最後までやれることを突き詰めて、ウィンター絶対に勝とう。

浅羽
 本業はモデルで、趣味で朝早くからラクロスをしに来てくれる優しき巨人。DFとしてのオンボール力だけでなく、3mから放たれるショットは鋭く、同期だったら悔しくて部活に行くのが嫌になるレベルです。これまで何度も浅羽のGBに救われてきましたが、ウィンターでもいつも通り頼りにしています!あと、旅館への招待も心からお待ちしています。

陽彩
 練習の始めに、水口と一緒にキングの機嫌をチェックする“キングルーレット”を確認する日々も、もう少しで終わるのかと思うと寂しいです。水口も宙に浮くほどの圧倒的なフィジカルを誇るキング。今後、何人の犠牲者が出るか分かりませんが、そのアグレッシブさはそのままに、俺が引退してもステップ50の習慣は続けておいてね!

こみ
 慶應ニューヨーク出身、ロング、他にも共通点は多いけれど、アーセナルのこの時期に怪我で悩むところまで一緒にならなくていいんだよ(笑) ただ、間違いなく俺よりも怪我をしている時の66の反省参加への意識は高いので、焦らず、自分のやるべきことをしっかり続けていれば絶対に大丈夫。最近、クロスワークメニューの始めに聞こえていた「おはようございます」コールが聞けなくて、少し寂しいです。

神保
 まさか神保がDMDになるとは、夏合宿が終わるまで全く思っていませんでした。自分の輝ける場所を必死に探すその行動力があったからこそ、今こうして輝けているんだと思いますし、一年目から本当によくやっていると思います。一次起点で1on1が始まる前に手を地面につける癖は、二次起点ではやらないようにと言いつつ…少しだけ期待しています。

かい
 上手くなることに貪欲で、現状に満足せず常に高みを目指すその姿勢。自分のことで精一杯なはずなのに、ウィンターで勝ちたいという強い思いから、他のロングにもあえて厳しい言葉をかける姿は、本当に一年生なのかと疑うほどです。吉田蓮とのバチバチを見ていると、もし自分が同期だったらその対象は俺だったかも…と内心ビクビクしています。自分にストイックな姿勢は本当に立派だけど、怪我で苦しい時こそ焦らずに。結果は必ずあとからついてくる。そして、入ってくる後輩をあまりいじめすぎないようにね (笑)

もりりん
 サマーからずっと、もりりんのオンボール力に何度も助けられてきました。本当に感謝しています。怪我や体調不良の時でも練習や試合に出ようとするもりりんを止めるのは毎回必死でしたが、2年生になっても同じことをしてコーチやTRを困らせないようにな(笑) DMDでもロングでも、どちらのポジションでも器用にこなせると思うから、たくさん悩んだ上で、自分が本気でやりたいと思える方を最終的に選んでほしい。

ハルマ
 水口の日記にも書いてあったけれど、とにかく「勝ちたい」という思いが強い、熱い選手だと思う。アーセナルのゴーリー不足の中で、自らゴーリーになる決断をしてくれたことには本当に感謝しています。考えすぎる性格なのか、行動を起こす前にいろいろ考えてしまう癖はあるけれど、何事も決めつけずに、まずは行動してみることが大事。チームとの会話も恐れず、積極的に関わっていってほしい。どのポジションのハルマでも、これからもずっと応援しています。

吉田蓮
 一番、自分のアーセナル時代に近い選手だと勝手に思っているからこそ、本当に頑張ってほしいと思っています。練習の66や試合で蓮がGBをすくうたびに、つい過剰に喜んでしまうのは、正直少し過保護すぎるかもしれません。自分と違うところを挙げるなら、それは圧倒的なメンタルの強さ。キングやかいに何を言われてもニコニコしていられるそのメンタルさえあれば、自分が選手時代に過度に気にしていた序列なんかも気にせず、これからも前向きに頑張っていけると思います。頼んだよ、アンパンマン。

同期へ
 NY校の少し特殊な入学方法の影響で、みんなより二つ上の同期になったけれど、最初は「気まずくならないかな」「自分は溶け込めるかな」と不安でいっぱいでした。でも、その不安はみんなの明るさで一瞬で消えました。どんなに辛い時でも部活に行けたのは、紛れもなくみんながいたからです。この代が最強だと胸を張って言えます。本当にありがとう。まだどの地方で働くかわからないけど、同期会があれば必ず飛んでくので誘ってくれると嬉しいです!

アーセナルコーチ陣へ
 ラクロスへの愛が強く知識が豊富な翼、個別にアーセナル選手の相談にのってくれているヤンニョム、自分に足りないオフボールの理解度が高く、AB間の競争の中で培った力を教えてくれている颯汰、そしてラッパーの松ちゃん。最終的に5人でアーセコーチをやると思ってなかったけど、そのおかげで賑やかで毎日が本当に楽しいです。まだ俺らにはウィンターでアーセ選手たちを勝たせるって仕事が残っているので最後まで駆け抜けよう!


 二人で渋谷の焼き鳥屋に行った時、四年でもAチームのコーチをやりたいと話していた翼の姿は、今でも鮮明に覚えています。だからこそ、翼がアーセナルコーチになると聞いた時は驚きがありました。でも学年ミーティングで「一生がアーセナルコーチやるから、俺もアーセコーチやるって決めたよ」と言ってくれた時、選手として何の実績もない自分でも、翼の大きな選択のきっかけになれたことが本当に嬉しかったです。翼の選択が後悔のないものになるように、俺もウィンターに向けてさらにディフェンスを強くするから、最後は勝って一緒に泣こう。

颯汰
 情けない話だけど、自分一人でアーセナルDFコーチをしていた頃よりも、颯汰がコーチになってくれたおかげで、アーセナルの選手への指導の幅が一気に広がりました。PRIDEアーセナルロングの星として、最後までAで活躍する姿を見たかったというのが本音だけど、一緒にコーチをやってくれて本当に助かっています。普段はボソボソ話す颯汰なのに、試合になるとヤンニョムくらい声が大きくなり、まだ一年生の相手ゴーリーとパスだったかショットだったかで本気でもめるところは大人気ないです…ウィンターではほどほどに。

花岡
 花岡には、これまで本当にたくさん相談に乗ってもらいました。何も上手くいかなくて立ち止まってしまう時、自分より二つ下とは思えないほど冷静なアドバイスに何度も救われてきました。自分にとって本当に特別な存在です。それに、似たような苦労を抱えながらも、花岡が諦めずに部活に来続けていた姿があったから、自分もやめずに頑張れたと思っています。本当にありがとう。ラコステ以外にもいいブランドはたくさんあるので、今度一緒に服探しに行こう。

春海
 NY校でラクロス部に入部した時、「一生の同期で9年からラクロスをしている奴がいるから紹介するよ」と先輩に言われてついていったら、金髪でひたすらFOの練習をしている、しかも部停経験ありの春海がいて、正直いじめられないか不安でした。まさかその春海と大学でも四年間ラクロスを共にし、さらに鰻屋で一緒にバイトするなんて、1ミリも想像していませんでした。三年の始め、自分がCスタートで部活を辞めようとしていた時、夜中にも関わらず何時間も電話に付き合ってくれて、「一生が他にやりたいことがないのにやめたら絶対後悔するよ」と言ってくれた春海の言葉で、踏みとどまることができました。あの時辞めなくて本当に良かったと思っています。山田・春海・俺の三人で観客の前で「若き血」を歌いたかったけれど、それが叶わなかったのは正直大きな後悔です。それでも、Aの試合で二人が肩を組んでいる姿を初めて見た時は、自分のことのように嬉しかった。春海と山田は間違いなく自分にとって大親友です。これからも三人で支え合いながら、社会人生活も乗り越えていきたいと思っています。これからも本当によろしく。

山田
 大学入学当初、正直山田にはかなり嫌われていて、関係を修復するのは難しいだろうと思っていました。高校時代、副主将という立場でありながら、コロナや勉強を理由に全くコミットできなかった自分の責任です。ただ、いつからまた仲良くなれたのかははっきり覚えていませんが、今では頻繁に山田に呼び出されて相談を聞く関係に。同期からも「位置情報を見ると大体山田と一緒にいるな」と言われるほどです。今週二人で飲みに行ったばかりだから「今日はもう会わなくていいだろ」と思うことも正直ありますが(笑)、今までの人生でここまで自分を必要としてくれる人はいなかったので、山田のおかげで自己肯定感が本当に上がりました。自分の軸を曲げず、時にやりすぎと思うくらい真っすぐに生きる山田の姿勢が本当に好きです。そのまっすぐさが、最後の一年でAの舞台で活躍するという結果につながったのは、自分のことのように嬉しかったし、尊敬しています。だからこそ、「もう結婚は諦めたから、一生と春海の子どもにプレゼントを送るおじさんになる」なんて今のうちから言わないでください。そのまっすぐさがあれば、きっといつか素敵な奥さんに出会えるはずです。

家族
 山田からのバトンにも書いてあったように、「聖人代表」や「優しい」など、周りの人から嬉しい言葉をかけてもらえることが増えました。そんな自分に成長できたのは、間違いなく家族一人ひとりの人間力を見て、それを少しずつ真似してきたからだと思っています。何度生まれ変わっても同じ家族の一員でいたいと心から思えるほど、素敵な家族です。これからも仲良くやっていこう。

家族全員に書くととんでもない文字数になるので、代表して母さんにメッセージを残します。

母さん
 母さんから「Aで活躍する一生を見たい」と言われたことはほとんどなかったけれど、それはプレッシャーに弱い自分を分かってくれての気遣いだと思いますし、そういう温かさが本当に母さんらしいなと思います。そして何より、本当に俺のことを理解してくれているなと感じています。気づいたら防具の洗濯や水筒の準備、アルミホイルに包まれたおにぎりが用意されていて、部活で悩んでいるときには「焼肉でも行こうか!」とすぐに誘ってくれたり、Bチームに上がったときには「乾杯しよう!」と言って自分以上に喜んでくれたりと、いつもそばで支えてくれました。その支えに本当に救われてきました。そんな母さんに、一番Aで活躍する姿を見せたかったのが本音です。部活以外でもたくさん助けてもらった分、これからは少しずつ親孝行で返していきます。仕事はほどほどに、健康第一で。これからもよろしく!

予定より長い文になってしまいましたが、最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

次は、同じ経済学部の戦友・千晶です。

遅刻の回数は歴代でもトップクラスらしく、それでも部に残り続けていることから、後輩たちは今後のオフなしの罰をどうするか頭を悩ませていると聞きます。

そんな千晶ですが、卒業までにまだかなりの単位が残っているようで、就活などで千晶の友人に会うたびに、「千晶って単位大丈夫なの?」と必ず聞かれました。

単位取得に向けたスクールライフと並行して引退ブログを書くのは大変だと思いますが、そんな状況だからこそ書ける、千晶らしい素晴らしい文章を期待しています!

頼んだよ千晶!

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