【日記リレー2025 vol.26】 「走り続ける理由」~山田洸土(4年/法学部政治学科/MF/#0/慶應義塾ニューヨーク学院)~

小さなおじさん源からバトンをもらいました山田洸土です。人生で一番死が近かった車線変更、あれからサイドミラーはこれでもかというくらい見ています。
プライベートでは、マスコット的なキャラクターを活かして関根のようにショートスティックを操っている、と言いたかったです。生まれてこの方女性とお付き合いした事はなく、一般の女性とのキスも未経験とのこと。少しだらしない部分はありますが、良いパパになると思うので将来の伴侶を探している方は是非話しかけてみてください。ただ上手く返してくれるという保証はできません。いつもカッコいい画像をありがとう、注目選手の投稿は今でもお気に入りです。
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俺たちはFIANL4で大敗を喫した。恐らく史上最弱の代だろう。何を書いても敗者の戯言にしか聞こえないかもしれない。それでも俺はこれまでの人生で最も濃い4年間を慶應ラクロスで過ごしてきたし、ラクロスを通じて信じられないほど沢山学んできた。そしてA、B、Cそれぞれのカテゴリーで長い時間を過ごしてきた。多くの挫折や葛藤を乗り越えた俺の4年間、俺なりのラクロス部への向き合い方、そして後輩達にどんな4年間を送って欲しいかを綴ってみようと思う。特に今ラクロスに対するモチベーションを失ってしまっている人や、ラクロスが向いていないと感じている後輩、Aチームで活躍することを諦めそうになっている後輩達に読んで欲しいと思う。
ラクロスを始めた時から、俺にはラクロスのセンスが無いことは気づいていた。周りが簡単そうにしているパス、キャッチ、クレードル、ダッジ、全てにおいておぼつかなかった。ニューヨーク校ではまともに試合に出たことは無いし、大学のラクロスに初めて参加した時には、2週間足らずで全ての組織練から外されるくらいには下手くそだったし、当時の玉置さんには「他の部活を探しておいた方が良い」とまで言われた。でもなぜかラクロスから離れることができず、上手くなろうと必死だった。壁当ては毎日欠かさなかったし、ジムでは自分を追い込み続けた。いつか自分は慶應のトップチームの試合に出場し、チームを全日本選手権優勝へと導くプレイヤーになると盲信していた。ラクロスを始めて、初めて慶應ラクロスのpump up動画を見た時から、自分もいつか動画上に映る先輩達のようにカッコいいプレーを量産すると信じていた。
間違いなく何度も心が折れそうになったことはある。初めて関根、増田、増成、大山、実路、太夫、翼と一緒にプレーした時。初めてAチームの試合を生で見た時。上級生になってからも、どんどんと後輩達が上手くなっていっているのを目の当たりにした時。他にも様々なシーンで心が折れかけた。でも折れなかった。必死にもがき続けた。必死に自分の活躍の場所を探し続けて、他には無い武器を求め続けた。下級生の頃からグラボやライドの強度はひたすら意識してきたし、苦手だった左まくりも自分の武器とまで言えるようになった。
それでも全日本選手権優勝へと導くプレイヤーにはなれる気がしなかったから新たな居場所を探した結果、ATからSSDMへの転向も決意した。おそらく多くの人に「逃げた」と思われていただろう。でもそこに俺は確かに可能性を感じたし、俺が全日本選手権優勝への欠かせないピースになると確信していた。
4年生のはじめ、トライアウトでは本当にギリギリのところでトップチームに入ることができた。そこからは必死だった。清さん、増田、関根に言われたことを出来るだけ忠実にまもり、志翔、叶大、崇斗を見て盗める技術を探した。そして存在感を出すためにゴール前に立ってみたり、ボールへの嗅覚だけを頼りにウィングに入り、自分の存在をアピールしてみたりした。
早慶戦前頃には必死にトップチームに食らいつく自分から、ただただ上手くなりたいという一心で部活に打ち込む自分になれた。最後の一年間は文字通り本当に夢のような時間だった。憧れていた舞台に自分が立ち、憧れていたチームに自分が必要とされ、4年目にしてようやく自分の存在意義を感じていた。当然のように全日本選手権にも出場して、俺であれば清さん、平塚さんといった社会人の面々とウィングで渡り合えて、チームの優勝に貢献できると信じていた。
でも負けた。FINAL4で。絶対に勝てると思っていた試合で。
2-9
言い訳のできない無様な負けっぷりだ。
夢のような時間があっけなく終わった。信じられなかった。もう皆とラクロスができない。やっと自分の存在意義を見つけられたのに。やっと慶應ラクロスの一員だと胸を張って言えるようになれていたのに。一瞬にして慶應ラクロスOBになってしまった。
長いようで短かった慶應ラクロスでの4年間、俺は慶應ラクロスにどう向き合ってきたのだろうか。上で書いたように俺のラクロス人生は決して順風満帆では無かったし、4年生になるまで心の底から慶應ラクロスの一員であると胸を張って言えず、自分の存在意義を見つけられなかった。自己紹介などでラクロス部であるということを伝えるときは、いつも何か後ろめたさがあった。勝利に直接的に貢献できていない自分をどうしてもラクロス部員として認められていなかった。そんな自分が情けなくて仕方が無かった。せっかく大学でラクロスをやるという道を選んだのに、心の底から自信を持ってラクロス部員であると言えない自分が悔しかった。
ただでさえ外見もカッコよく無いのに、そんな醜い中身を持ち続けて4年間を終えるのだけは嫌だった。だから三つのことを意識した。一つは自分を信じ続けること、一つは後悔の無い選択をすること、そしてもう一つはラクロスを大好きでい続けることだった。
一つ目の自分を信じ続けること。クサいな、とは自分でも思うが4年間自分を心の底から信じ続けることができたから、走り抜けられたのだろうと実感している。根拠なんてなくたって良い。「俺ならできる」そう言い聞かせるだけで、本当にできるようになる。
後悔の無い選択をすること。これは日々の小さな決断から、ポジション転向といった大きな決断に至るまで、ラクロスに関わる全ての決断で意識してきた。キツいから筋トレの強度を落とす、疲れたから壁当てを休む。部員なら誰しもが頭に浮かべたことがあるだろう。でも俺のように才能が無い人間にとっては、小さな一歩を踏み損ねることが命取り。こういう小さな決断によって、後々大きく後悔すると直感していた。だから小さな決断こそ慎重に行ってきた。
そして最後にラクロスを大好きでい続けること。これが一番簡単に見えて一番難しかった。波なくずっとラクロスを好きでいれたのは最後の1年間だけだった。翼の日記リレーにも書いてあったように、ラクロスを好きなやつが結局一番上手くなる。好きでい続ける方法は人それぞれだが、何も思いつかない人は自分の上手いプレーを沢山保存して欲しい。調子が悪い時に見返すと、少し元気になる。
これらの事を意識し続けた結果、最後の1年間、俺は胸を張って慶應ラクロスの一員だと言えた。そして生まれて初めて自分をカッコいいなと思えた瞬間の数々だった。今これを読んで笑ったやつが何人かいるだろう、松本、バレてるぞ。でも高校の頃から憧れていた舞台に、憧れていたユニフォームを身に纏って、自信満々に自分が走り回っている。試合後に写真や配信を見返している時はにやけが止まらなかった。
ただ、全日本選手権優勝を果たしていれば、この思いは一生物になっていただろう。引退をしてからの1週間、目的を持たない生活を送った俺はあまりにもダサかった。また自分を嫌いになってしまうほどには醜かった。それほど全日本選手権優勝という目標は俺を輝かせていた。
これを読んでいる後輩の皆は慶應ラクロスとどう向き合っているのだろうか。冒頭でも述べたように、俺は今ラクロス部でモチベーションを失いつつあるような人に、この日記リレーを特に読んで欲しいと思っている。そんな人たちにもう一度問いかけて欲しい。なんで慶應ラクロスという道を選んだのか、そして選んだ当初はどんなビジョンを抱いていたのか。思い出して、その頃と同じような気持ちでラクロスと向き合って欲しい。
それでも自分には無理だと思う人もいるかもしれない。でもあの山田でもできたしな、と思って必死にもがいて欲しい。センスが無くたって、運動神経が悪くたって、しっかりと自分と向き合って、自分と闘い続けることができれば必ず結果は出る。
やっているけど結果が出ない、と思っている人は是非多田の日記リレーを読み返してみて欲しい。それはやっているつもりになっているだけで、実はできていない。やっているか、やっていないか、それは周りが評価することだ。結果が出るまで自分を信じて、地道にやり続けるしかない。
やり方が分からない、モチベーションの保ち方が分からない、といった人は是非俺に連絡して欲しい。必ず力になるから、遠慮せず。
偉そうにつらつらと好き勝手書き進めてきたが結果は、 FINAL4敗退。この事実を思い出すと、自分でもこの文章があり得ないくらい薄っぺらく思えてくる。後悔の無いようにと思い、過ごしてきた4年間だったが、一切後悔が無いかと聞かれれば本当にそんなことは全く無い。まだまだ自分を追い込むことができたし、まだまだ自分にできることはあった。
でも試合後に清さんが俺や叶大に言ってくれたが、死にたくなるけどこういう事も乗り越えていかきゃいけない。悔しさを胸に前へと進むしかない。
そして先ほども書いたように、引退した後、何も目標が無い俺は情けないほどダサかった。だから次の目標を立てた。この場を借りてそれを宣言しようと思う。2028年のオリンピック、ラクロス日本代表を目指す。客観的に見たらまあ無理かなとは思う。でも120年ぶりにラクロスがオリンピック競技に選ばれた。そしてそんな時代に俺はラクロスをしている。チャンスがあるのに挑戦しなかったら後悔する。だからもう一度自分を信じて、一歩一歩進んでみようと思う。
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感謝コーナーは短くしようと思っていたのですが、だいぶ長くなってしまいました。興味のない人はスキップして、一番下の吉田の紹介文だけ読んでいってください。
お父さん
ニューヨーク校での4年間ですでに物凄く迷惑かけていたのに、大学でもかなり迷惑をかけてしまいました。ラクロスだけでなく、22年間本当にありがとう。全然関係無いですが小さい頃、一番好きな言葉は「never give up」と言って、お父さんに「何を諦めないの?」と聞かれ、上手く答えられなかったのをこの日記リレーを書きながら思い出しました。多分答えは「never give up on myself」です。これからも沢山のことに挑戦し続けます。そしてこれまで投資してもらった額は約束通り必ず3倍にして返します。
お母さん
22年間支えてくれて本当にありがとう。全く素直では無い息子なので、多分伝わっていないけど本当に感謝しています。出場する試合にはほとんど毎試合来てくれて、地味に心強かったです。国立競技場には立てなかったけど、まだロスのオリンピックに立つ可能性はあるので、もうしばらく応援してください。
春海
るるに飛び蹴りされていた頃は「なんだこいつは」と思っていたけど、真っ暗になってもクランプをし続けていたり、タイヤを転がし続けていたりしていたるるを見て、高校時代からめちゃくちゃ尊敬していました。大学に入ってからは一年生の頃からトップチームで活躍をするるるを見て、ずっと焦っていました。いつかは春海のファストからパスをもらって決めることとかを想像していたけど、ラストイヤーではもっと近い場所で共にプレーできて本当に嬉しかったです。できれば社会人でも同じチームでやりたいな、とも思ってます。そしてプライベートでも一生と共に本当に沢山の相談に乗ってくれてありがとう。間違いなくあの時相談できていなければ辞めていた、という瞬間がなん度もあります。これからもよろしく、そして末長くお幸せに!
一生
高校の頃から散々ありがとう。まさか大学で体育会生として一生と一緒に4年間を走り抜けるとは正直思っていなかったです。でも本当に一緒にラクロス部に入ってくれて良かった。部活動では、ラストシーズンの序盤、一生がトップチームに帯同してくれていたおかげで、メンタル的にかなり助けられました。そして、プライベートでは数えきれないほどの相談に乗ってくれてありがとう。社会人で地方に行っても、余裕で東京に戻って来られるという言質は取れているのでこれからも遠慮なく呼びつけます。これからもよろしく。そして峰岸が言っていたように、諦めたらダメです。
峰岸
一年間うるさい俺を笑ってくれてありがとう。U20で峰岸がいなかった時、実はかなり寂しかったです。そして筋トレ強度では、峰岸にだけは最後まで勝てず悔しいです。いつか超えます。飲み、いつでも誘ってね。
中本、泰松、伊藤
中本は来年以降も持ち前の一発ギャグで良い雰囲気のチームを作ってください。泰松はfor the teamの気持ちをしっかりと持って。伊藤は怪我に気を付けつつフィジカル強化頑張って。3人とも来年のディフェンスユニットの主軸として、鉄壁の慶應ディフェンスを作ってね。
泰志、幹弥、ちーたつ
アーセ出身2年目で泰志は一度もBチームに落ちず、幹弥、ちーたつはシーズンのほとんどをAチームで過ごしていて本気で尊敬してます。3人ともあと2年間、長いようであっという間だから、気を抜かないで。そしてラクロスを思い切り楽しんで!
崇斗
一年間ありがとう。崇斗がいたから今年の慶應はリーグ戦1位で終わったと言っても過言では無いくらい助けられました。これからもディフェンスにコミットするのか、オフェンスに挑戦するのか、全ては崇斗次第だと思うから、自分のやりたいことを全力でやってください。
宮地
最後は共にSSDMとして戦ってくれてありがとう。初めてなのにオンボールがめちゃくちゃ強くて、めちゃくちゃ焦りました。来年以降オフェンスとしても絶対に活躍できるだろうから頑張って。
海大
しんどい事も多かったと思うけど、全ての経験が次のシーズンで必ず生きるはずです。自分が学んだことを次の世代に託して、強い慶應ラクロスを作り上げてください。またなんでも相談乗るから遠慮なく連絡してね。
SSDM陣
SSDMはとにかく多くのことを求められる一方で、あまり目立たない縁の下の力持ち的な存在です。難しくて、成長が分かりづらいポジションだけど、色々と工夫すれば必ず活躍する方法を見つけられるはずです。何か相談があればいつでも連絡ください。まずはシュートを避けるな、から始めるけど必ず力になります。
門井
シュートブロック邪魔な時、多分かなりあったよね、ごめん。いつか門井がハーフ超えてシュートを狙う時を楽しみにしています。来年は岩城を超えて、学生一のゴーリーになってください。
岩城
本当に何度も助けられました。来年は主務もやるのか、詳しいことは知らないけど、また慶應ラクロスを救ってください。筋トレは行かなくても良いかもだけど、壁は行こうね。
関根
ラクロス部での生活を通して、一番長く時間を共にしたのが関根でした。そしてプレー面ではウィングで好き勝手やらせてもらったり、俺の未熟なディフェンスをカバーしてもらったり、特にラストイヤーは助けられっぱなしでした。俺は練習後に関根と一緒にご飯を食べる頻度が減ったの、めちゃくちゃ寂しいです。社会人になっても同じ練習場所の時は車よろしく、なんなら同じチームでも良いよ?
増田
後輩からは恐れられている増田。実は俺もシーズン序盤そっち側の人間でした。立教戦の増田、マジで怖かったな。最近は手術を経て、恐らくこの文章も病室のベッドから読んでいることでしょう。退院したらまた沢山飲み行こうね。社会人では対戦できるのを楽しみにしてます。
叶大、陳
まさか最後の一年、二人と一緒にSSDMをやるとは一年生の頃には夢にも思わなかったです。シーズンの最初の頃はてっぺんが見えないくらいの大きな壁で、とにかく付いていくのに必死でした。法政戦でSSDM陣が強かったと言われた時はめちゃくちゃ嬉しかった。またどこかで一緒にラクロスやろう。
清さん
清さんの下でラクロスができて本当に良かったです。毎練習のようにどんどんと上手くなっていくラスト1年間は、人生で一番ラクロスを楽しむことができました。社会人でもラクロスは続けていくので、これからもよろしくお願いします。
裕太さん
俺の変な壁当て、プレースタイル、全部褒めていただいて嬉しかったです。バックパッカーはできるか分かりませんが、残りの数ヶ月で何か面白いことやってみます。
玉置さん
「他の部活を探した方が良い」と言われた時はショックでしたが、あの一言が無ければ今の俺はありません。ラクロスにおける一番の恩師です。今度の飲みで沢山語りましょう。
森谷さん
一年生の夏期間の立教戦で、全然出してくれなかった時はめちゃくちゃ嫌いでしたが、今では一番お世話になったと感じる先輩です。2年生のBチーム時代に俺が考えてラクロスをできていれば、もっと楽しかったかもしれないです。でも来年からまた同じチームでプレーできるのをめっちゃ楽しみにしています。これからもよろしくお願いします!
KLBの皆さんへ
読んでいらっしゃるかは分かりませんが繁益さんを始めとして、KLBの皆様には大変お世話になりました。私が未熟なばかりに散々ご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ございません。来年度以降は、私自身も学生側をサポートする社会人の一員として何らかの形でKLBの運営に携わりたいと考えていますので、今後とも何卒よろしくいたします。
スポンサー部門の皆
嶺奈を筆頭に今年度1年間皆本当にありがとう。下級生の皆にはあんまり面白い仕事をさせてあげられなくてごめんなさい。慶應ラクロスの活動を円滑に進めていく上で、スポンサー部門の存在はこれからも大事なものになっていきます。大変なことも多いだろうけど、楽しんでもらえると嬉しいです。何かあったらいつでも相談乗るので連絡待ってます!
ニューヨーク校後輩達へ
俺がニューヨーク校を卒業した時にした「皆の居場所を作って大学で待っています」って約束、覚えている人がいるかは分からないけどしっかりと果たせたと思います。今年はAチームにも絡んでくる下級生ニューヨーカーが沢山いてめちゃくちゃ嬉しかったです(太元は本当に下級生なのか分からない態度ですが)。圧倒的なポテンシャルを持つ太元、不器用ではあるけど確実に上手くなっている圭司、悩みが多くても真面目にラクロスに向き合ってくれている有起、そしてしれっと同期で彼女を作って鼻の下を伸ばしている小宮山。ここに全員は書ききれないけど、これからも全力でラクロスを楽しんで、慶應ラクロスの勝利に貢献してください。ニューヨーク校生が活躍してくれることが、個人的には一番嬉しいです。
颯
0番もらってくれてありがとう。ポテンシャルは本当に一番だと思います。高身長イケメンで腹立つことが多いけど、本当に一番期待してます。出る試合はできる限り全部見に行くから、毎試合呼んでね。また合トレしよう。
同期
カスでどうしようも無い同期だけど、4年間本当に楽しかったです。個人的にはまたみんなでラクロスしたいので、防具とかは捨てずにどこかにしまっておいてください。
次は聖人代表、吉田一生です。長年の付き合いを遡って何かとんでも無いことを暴露してやろうと思っていたのですが、無かったです。強いて言えば私の前で「俺ってブサイクだからさ」と平然と言い放ってくるところでしょうか。イケメン、高身長、その他もろもろもハイスペック、非の打ち所がない一生。これまで恋愛で苦労しているところはあまり見たことが無かったのですが、最近は何かあったようで。一体どんな女性であれば一生の顔を曇らせることができるのでしょうか。まあ誰でも良いのですが、一生を傷つけたら山田が飛んでくるのでそこだけ覚えておいてください。
そんな吉田一生が一体何を綴るのか。豊富な人生経験も相まって、間違いなく我々の代で一番熱い文章を書いてくれることでしょう。
御年二十四歳、若作りに必死な優しきおじさん、一生よろしく!


