【日記リレー2026 vol.7】「艱難辛苦」〜加藤彰悟(4年/経済学部/MF/#77/慶應義塾高等学校)〜

才色兼備と掛けまして二口目以降の二郎系ラーメンと解きます
その心は、
どちらも「あき」
どうもね〇〇ちです。
間違えました。あきからバトンを受け取りました。4年の加藤彰悟です。
あき紹介ありがとう。
事前に伝えてもらってはいたものの、本当にこんなフリを書かれるとは思っておらず動揺してしまいました。いつもおしとやかにニコニコしている彼女ですが、僕らのキモイ身内ノリにですらついてきてしまうのがすごいです。先輩後輩問わず絶大な支持を得ているのも納得です。
まだまだ紹介できますがここら辺にさせてください。
先輩たちの日記リレーを読んでいると、その人の普段の言動からは見えない考えや価値観に驚かされることが多いのですが、自分もそんな立派な文章が書けているか不安です。この文章を書くための参考に読み直させていただきましたが、やっぱり面白いです。目を通してない人はぜひ過去日記リレーも読んでみてください。おすすめです。
さて、本文に入ります。
この日記リレーを書くにあたって、自分の4年間を振り返りながら、思ったことを書いていこうと思います。
自分は何かと間の立場にいる期間が長かったと感じます。1年生ではBチームとCチーム、2年生ではAチームとBチーム、3年生ではOFとDF、4年生ではOFとDFと…FO?
特に周りと比べると上位のチームでプレーさせていただく機会が多く、成長できる環境に身を置くことができましたが、精神的には穏やかに過ごせない時間が長かったなと感じます。
1年生
Cチームからスタートしたものの、椎名さんに目をつけていただきBチームへ。すでにBチームに上がっていた岸や大類にすぐ追いつけるかと思いきや、在籍している上級生たちのレベルに次第についていけなくなり劣等感にさいなまれる。玉置さんに尻を叩いてもらいながら頑張るも目に見える成長をすることはできなかった。
2年生
まさかのAチームからスタートすることができ、気合を入れて練習に励むも試合などで結果を残すことができず、ひたすら序列が落ちないように得意なプレーにしがみつく日が続いた。夏休み後にBチームに落ちたときは、プレッシャーから解放されたのもあってか、大畠やキミアキさんたちとひたすら自分が上手くなるための練習に集中することができ、大きく成長できた気がする。その後Aチームに復帰するも結局オフェンスは通用せず、DMD転向打診を受ける。事前に知らされるともなく、練習前に凜大さんに提案された。ここまで来たらAにしがみつこうというやけくそな気持ちと、これ断ったら今日の練習どうなるんだという若干の恐怖から5秒で了承。DFという新天地で完全に吹っ切れた状態でプレーし、12月というシーズン最終版からの挑戦だったが、なんやかんやでAに残りシーズンを終える。
3年生
当時の幹部たちにDFとしてプレーすることを提案され迷ったものの、OFとしてプレー続行。ただ普通に下手でBスタート。焦りはあったものの、鵜沼さん監視の下で、練習に対する意識点や反省点をとにかく考える時間を作ることでプレーの幅を増やすことができ、早慶戦に出場することができた。しかし絶頂期が来たと思った束の間、すぐに足や肩の靭帯を損傷し、Aチームに戻れることはなかった。
4年生
シーズンが始まってまたもや捻挫を再発し、早慶戦前に復帰するもAのレベルに通用せず早慶戦出場を逃す。この時期からディフェンスとして誘ってもらう機会が多くなり、それはやがて脅しめいたものになっていった。また長瀬さんのカウンターを用いたFOが面白いと言っていたら、FOができると勘違いされたのかFOの提案もいただいた。OFの以外の形でもAに残れるチャンスをくれるのは、とてつもなく贅沢な話だったが、ここまで来たらOFと心中することを伝え続行。そしてオフェンスとしてぎりぎり生き残る…?
スター性のある同期が多い中、ずっともがきながら過ごした4年間でした。長々と書いてきましたが、自分への戒めも込めて二つお伝えして終わろうと思います。ぶっちゃけ大畠や大類と言いたいこと同じだったし、内容が浅すぎて大畠の日記に論破されたので、それ以外の観点から書かせてもらいます
①どれだけ開き直れるか
これはただ投げやりになるのではなく、失敗や不安などのネガティブな要素をどれだけ無視して自分に集中できるかだと思います。
焦燥感、劣等感などのネガティブな要素に苦しんできた僕にとって、上手くなっている期間には必ずと言っていいほどこの要素がありました。ラクロス部という競争環境に身を置く以上、周りと比べられない日はないし、失敗しなくなることはありません。そうした不安な状態に陥った時に、どれだけ自分のことを顧みれるか、どれだけ自分の可能性を信じて努力できるかが将来的な成長につながってくるのだと思います。
たくさん努力したからと言って結果が絶対ついてくるわけではありません。そんな残酷な環境でも一つ一つ、いい意味でマイペースに積み上げていくことを目標に頑張りましょう。
②いろいろなやり方を模索すること
自分がやりたいことと上手くいく方法が異なることも意外と多くあります。そのために様々なことに挑戦したり、人に意見を聞いたりして幅を広げることは思わぬ時に自分を救うことがあります。こだわりも大事ですが、とにかく色々やってみようということです。僕の場合はポジションの幅を広げてでも、なんとか生き残ろうとしてました。必死。
現在も一応OFとしてプレーさせてもらってますが、いつでも暗雲立ち込めるような状態ではあるので、あと半年、自分なりに試行錯誤しながら喰らいついていきたいと思います。必死。
最後に感謝コーナーを書いて終わりにします。
落ち込みやすい自分でも、周りの人に本当に恵まれたおかげで、4年間なんとかやってこれました。関わっていただいたすべての方に感謝申し上げます。、書ききれなかった人たちには、またお会いしたときに述べさせてください。
先輩方
絡みづらい後輩だったと思いますが、色々と関わっていただき、ありがとうございました。とにかくかっこいい人がたくさんいて、良い影響を受けながらラクロスに取り組むことができました。後輩たちに還元できるように頑張ります。
同期
身内で起こる、コンプラをフル無視したノリには4年間笑わせていただきました。日本一取って、たまには泣いて終わりましょう。塾高の人は7年間、普通部の人は10年間。ただただ、ありがとう。
後輩
上下関係を全く感じずにしゃべってる時間が多くなってきているのが、仲良くできている証なのかなと思います。でも、Among us に誘って10秒で倒すのはやめてください。もっと遊びたいです
両親
何不自由なく生活させてくれてありがとう。年齢を重ねるとともに二人の偉大さも大きくなっていくばかりです。あと半年間、朝バタバタしてる生活にお付き合いください。社会人になったら、いっぱい恩返しさせてください。
玉置さん
一年次、大学ラクロスでプレーすることに対して、覚悟が甘かった部分をたたき直してもらいました。これが大学ラクロスなんだ…。と感じていましたが、未だに玉置さんを超えるムチとアメを使いこなす指導者には出会っていません。のちの3年間頑張れる基盤になっていました。ありがとうございました。
是非どこかで試合も見にいらしてください。
キミアキさん
公私ともに本当にお世話になりました。いい人すぎるのが逆に不気味で、どこでボロ出すんだろうと思ってたら、結局完璧な人格者のまま海外に飛び立ってしまいました。僕がひねくれてました。また大畠と福山さんと釣り行きましょう。これからもよろしくお願いします。
ご両親にもよろしくお伝えください
鵜沼さん
最近ノート全然あげてなくてごめんなさい。また再開します。三年の苦しかった時期に、いろいろな角度からアドバイスいただいて、早慶戦まで送り出していただきました。あの時期が短期間で一番成長できた期間で、苦しくも楽しく練習できました。ありがとうございました。
東澤、拓人
圧がすごかったので書きます。二人とも人の懐に入るのが上手くて、後輩であることを忘れる時間も多かったです。仲良くしてくれてありがとう。
東澤は山田ゼミ頼んだ。拓人は留学楽しんで。
はるま
やりたいように、やりなさい。
次はCチームDFコーチの武史です。
選手時代は自分のマークを捨ててまで中に絞る優しさを持っていましたが、現在も変わらずコーチとしてその優しさを発揮しているようです。
僕とは麻雀を嗜む仲ですが、勝っている姿を見たことがありません。優しすぎます。
僕より人生の先輩である彼の日記リレーが楽しみです。よろしく!


