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日記リレー

【日記リレー2025 vol.24】「脇役」 ~水口颯汰(4年/法学部政治学科/C/芝浦工業大学附属高校)~

先輩後輩問わず部共通の愛称「松ちゃん」こと松本洋一郎からバトンを受け取りました、水口颯汰です。
一つだけ訂正すると、禁断の恋ではありません。
情報は正確に発信しましょう。
工業高校時代はピンクの髪をなびかせ、一時期謹慎も食らう、なかなかやんちゃな青春を送っていたとか。気になる人はぜひ本人に聞いてみてください。
入学当初、常に飴を持ち歩き、授業で知り合った女の子に配って回るという花岡もびっくりのキモムーブもしていることを、クラスの複数の女子から聞いたときは、正直一生関わらないタイプの人間だと思いました。
さらに「数撃ちゃ当たるんよ」と言いながら、知り合った女の子全てにDMしていたことも比較的記憶に新しいです。
まさかそんな彼とほぼ丸々4年間同じチームになるとは、、、腐れ縁というものは本当に恐ろしいですね。まさか最後はアーセコーチでも一緒になりましたが、、
今ではラブラブな彼女に尻に敷かれているようで、何よりです。お幸せに!恋愛MBTIが忠犬ハチ公なのは流石にジョークだよね?
彼は、練習の行き帰りはよく私の車で足をおっ広げて爆睡していたため、書こうと思えばいくらでもエピソードは出てくるのですが、コンプラに触れずに書ける内容がこれくらいなのと、本人にも紹介文で念を押されちゃったためこれくらいで留めようと思います。
松ちゃんどう?頑張って控えたくね?

はじめに、平素より慶應義塾体育会ラクロス部を支えてくださっている関係者の皆様に心より御礼申し上げます。今後とも変わらぬご支援・ご声援のほど、よろしくお願い申し上げます。
上の文章を書いている途中で改めて実感したのですが、もう「今後とも」という言葉は来年度以降のことを主に指している言葉になってしまいました。
まさかこの文章を書いている時点で全学・全日優勝の夢が絶たれ、残すはArseだけになっているなんて誰が想像したでしょうか。
正直な話、すでに引退ブログが茶番にしか見えないだろうなと書きながらぼんやりと思っています。
ちょっと書きづらいです、、
参考になる話や、誰かの心を震わせる熱い言葉は、私の希薄な人間性や経験からはきっと紡ぎ出せません。だからこそ、そうしたかっこいい言葉が欲しければ、自慢の同期の文章でも読んでください。
ただ、それでもこの文章には、私なりの想いを込めました。
もし誰か一人でも、何かを感じてくれたなら、それだけで十分です。
それでは始めます。

私はこの部活の中で、肉体的にも精神的にも、トップクラスに「弱い」人間です。
入部理由も「早慶戦の舞台には立ちたい。でも、きついのは嫌だ。ここなら自分でも試合に出られるかもしれない」という、およそアスリートとはかけ離れた、打算的なものでした。
そうして入部した当初は、受験太りで85キロを超えた体が全く動かず、アーセの同期とも馴染めず、正直全く楽しくありませんでした。
しかし、DFとしての適性を見出していただいてからは、確かに光が見えた瞬間がありました。
アーセナルではロング1枚目として試合に出させてもらい、翌シーズンには育成枠としてBチームに割り振ってもらえた。そして3年時には、六大戦やリーグ戦の舞台にさえ立たせてもらえました。
あの頃は、このままいけば翌シーズンには試合に出られるかもしれないと、本気で思っていたのです。
その自信が、ただの勘違いだったと気づかされるのに、時間はかかりませんでした。
今でも鮮明に覚えているのが、3年のシーズン中に、ふらっと訪れた颯太さんから投げかけられた言葉です。
「水口、2年の頃の方が上手かったよ」
その一言は、私の停滞のすべてを物語っていました。
今年、一度もAチームに上がれなかったこと。そして、ずっと夢だった早慶戦への挑戦権を、自らの手で失ったこと。
その全ての原因が、自分自身の怠慢に凝縮されています。
怪我を理由にして壁あてに行かない。そういった日々の小さな逃げの積み重ねが、取り返しのつかない差を生んだのです。
50メートル走は7秒台後半のまま。課題だったオンボールディフェンスは変なチェックばかりに頼る一方で一向に上達せず、慢性的な腰や手首の痛み、癖になった捻挫にも悩まされていました。
そして精神的には、もっと深刻でした。
筋トレが好きになれずジムをサボって適当に動画だけあげていたことは数え切れません。
大1や大2の頃までは壁当てが大好きで、オフの日には青木と5時間もボールと向き合い、ゴールもないのに防具オンして1on1していたあの頃の情熱もいつしか失い、足が遠のいていました。
ゾーンマンツーのままだったらなあ、なんていうクソダサい言い訳だけが、日に日に上手くなっていきました。
自分の悪いところなんていくらでも列挙できますが、あまり気持ちのいい文章ではなくなるのでこのくらいで留めます。
そんな自分を「よく頑張った」なんて、褒めるつもりは毛頭ありません。
この4年間を無駄だったとも思いませんが、かといって肯定もしきれません。
結局、トップチームに必死に食らいつこうとする姿勢も持ちきれず、限界を勝手に決め、楽な道を選んできた。
その残酷な答え合わせが、あの日の光景でした。
FINAL4で敗北し、同期が泣き崩れていた時も、私は泣くことができませんでした。むしろ泣いてはいけない、とすら思いました。
泣いていいのは本気で取り組んだ人だけで、本気になれなかった自分、そして勝負の世界から逃げた自分に、涙を流す資格などあるはずもありませんでした。
あの日のスタンドで感じたのは、悔しさよりも、むしろ「空虚さ」でした。自分はこの物語の当事者ですらいられない。
その感覚は、ずっと前から私の中にありました。

その始まりは、3年の秋にまで遡ります。
このまま最後はコーチになるか、Bチームの老害枠として終わっていくんだろうな。
そんなことを、まるで他人事のように考えていた3年の秋。
ある大学のラクロス部スタッフの引退ブログ(是非読んで欲しいので書いておくと武蔵大学の岡野朱里さんのLast Blog)に出会いました。
それはある一つのことを強烈に問いかけてくる文章でした。
「お前の存在意義は何か?」
私はその一文に、思わず手を止めました。バリューバリューとよく言われますが、存在意義はバリューとは似て非なる、より抽象的な概念だと思います。
自分はなんのために部活に在籍しているのかということです。
正直自分の存在意義なんて考えたこともありませんでした。
万年BやAの最下層あたりをうろうろしている自分がいなくてもきっと慶應は勝ち進んでいくでしょう。
読み直しながら思ったのですが、この認識は改める必要がありますね。
むしろ、この認識こそが多くの部員がどこか達観して、応援に全力になれない要因だったりするのかも知れません。
引退ブログでよく書かれる「フリーライダー」という奴です。
一方で2部のチームであっても本気の熱量を持って部活に向き合ってる人もいます。
正直後者の方が圧倒的にかっこいいです。
慶應ラクロス部に在籍する人それぞれに、存在意義があるはずです。
日本一を目指す組織としてはむしろ無くてはいけません。
試合に出て勝利に貢献する人。
スタッフとして部の運営を支える人。
そして、存在意義を見つけられず、もがき続ける人。
私は間違いなく、最後の「もがく側」の人間でした。
試合で活躍する同期や後輩を見て、悔しさは感じるものの、何かを行動に移す勇気も努力も足りませんでした。
そうした焦りから最終学年になってスポンサー部門に参加してみたりと自分の存在意義を必死に探していました。

それでも最近ようやく、自分の存在意義――つまり”脇役”としての意義に辿り着きました。
「そんな最終学年でAに上がれずコーチになるような人間は脇役に決まってるやろ」とか「主役じゃなかったら必然的に脇役だろ」という声が聞こえてくるような気がします。
でも、私の考える脇役は、ちょっと違います。
私の考える“脇役”とは、ただの主役未満の存在ではありません。
主役になれなかった悔しさを受け入れつつも、それでも舞台に立とうと足掻き続ける者。
自分が届かない場所であっても、誰かのために汗をかき、必死に声を出して応援し、背中を押す存在。
誰かが悩んだり困っている時に背中を押してあげられる存在。
理想論かもしれません、しかしそんな“脇役”にしかできない価値がきっとあります。
オフなしで坊主になりながらも、色んな練習に顔を出して、Bを、そして将来の慶應ラクロスをなんとかしようとしていた鵜沼であったり、
サマーで負けた後、誰よりも悔しそうに足早に一人で会場を後にしていた一生であったり、
どれだけ同期にいじられても、部活へのモチベーションを無くしても、習慣のようにスプライザや審判に精を出していた糟谷であったり、
前十字を怪我し、自らの学業を犠牲?にしながらも後輩と一緒に最後までラクロスを楽しんでいた青木であったり、
彼らは、リーグ戦で活躍する選手のように脚光を浴びることは少ないかもしれません。
しかし、こういった選手やスタッフの存在なくして、このチームの物語は成立しないと、私は確信しています。
そして、私自身が選手として最後に辿り着いた「脇役」としての役割が、
「なかなかAに上がれないのは、あの先輩が居座っているからだ」
「やっとAに上がったと思ったら、もう後がない先輩を戻すために自分が下げられた」
そんなふうに、後輩たちの競争心をあおり、チーム内に緊張感を生む“壁”として存在すること。
誰かの前に立ちはだかることで、その人の成長のきっかけになれるかもしれない。
コーチ転向前はそんな思いで選手として部活に携わっていました。
この時点で自分の目標ではないような気もしますが、、
コーチ転向の話が出た際も、選手として残り、オフボール力が求められるような戦術を使うときや、後輩育成のために選手を続けるという案もありました。
しかし、自分ではなく後輩がAチームに昇格することを喜ぶような人間はもはや選手でも、アスリートでもありません。
「壁」であるべき自分が、後輩の成長を心から喜んでしまっては、もはや「壁」としての役割すら果たせない。
選手としての自分は、完全に終わったのだと悟りました。
だからこそ、最終学年の途中で選手を辞め、コーチへ転向する決断を下しました。
決断を下したなんて言葉で書いていますが、それは、「脇役」としての役割を、別の形で全うするための、私にとって唯一の道でした。
他のコーチ陣のように覚悟を決めて、断固たる思いがあってコーチになったわけでは正直ありません。
正直言って、ラクロス部に悪い影響を与えないためにできることが、退部するかコーチになるかしかなかっただけです。

実を言うと、代が変わるタイミングで、すでに「コーチになろう」と心の中では決めていました。
選手としてのプレッシャーや課される課題から早く逃げ出したかったからです。
ただ、学年ミーティングの時は青木と松ちゃんの必死?な説得、そして同期の言葉に心を動かされ、もう一度選手として続ける道を選びました。
けれど、そんなミーティング数回で変わるような薄っぺらい覚悟では続くはずもなく、早慶戦後に改めてコーチ転向の話を持ち出された時は少しホッとした自分がいました。
もう、本気でやっている同期たちの前で、「本気のフリ」をしなくてもいい。試合に出られない悔しさを、無理に表さなくてもいい。その安堵だったのかもしれません。
そして、そんな風に感じてしまった自分自身に、心底情けなさを覚えました。

コーチ転向が正しかったかどうかなんて、今でもわかりません。
「Aチームに向かって努力し続けた結果、メンバーに残れないことから逃げた」と言われれば、今でも否定できない自分もいます。
それでも
コーチとしてアーセナルに関わった半年間は、本当に楽しかった。願わくばもっと最初からアーセナルに関わって成長を実感したかったなあと思います。
その一方で、あと1年間選手としてラクロスができなかったことは、心から悔やまれます。リーグ戦で多数の観客の応援を浴びながらプレーする選手を見るといまだに羨望を隠せません。
矛盾していると思いますが、この優柔不断ぶりが非常に自分らしいなと思います。
主役になることは、もうとっくに諦めました。
けれど、脇役にすぎない自分でも、チームに何かを残すことはできる。
そんな夢を抱きながら、今日までやってきました。
自分は、何を残せたのか。
ちょっとカッコつけた言い方になりますが、その答え合わせは、アーセナルの皆がしてくれるはずです。

さてここまで脇役の意義を散々語ってきましたが、脇役でいいと言いたいわけではありません。
選手である人たちは主役であることに、今を生きることにこだわり続けてください。
宙さんのブログにありますが、スーパースターにはもうなれないかも知れません。
しかしスターにはいつ始めても今始めたらきっとなれます。

最近CやBチームを見ていると、もうコーチ転向する覚悟を決めていたり、自分の限界を定めてしまっている選手がたくさん在籍しています。
また来年チーム上がれそうとか、先輩が抜けるからチャンスがあるとか考えている人は今すぐに考えを改めた方がいいです。
私自身、「来年は層が薄くなるから」とか「来年こそは」とか言い続けてきました。
去年はちょっとリーグ戦や六大戦に出させてもらっただけで、最終学年になる来年はいけるんじゃないかと、どこかで思っていました。
怪我人が多発していた状況と自身の課題は何一つ改善していなかったにも関わらず、です。
そうして自分自身を磨くことから逃げ続けた結果、続々と入部してくる経験者の塾高生や身体能力の高いアーセにあっという間に追い抜かれて行きました。
未来なんて本当に誰にもわかりません。だからこそ「今」を必死に頑張ってください。
僕が尊敬し、いろんな意味でお世話になった先輩は、最後まで選手の夢を諦めきれず自分自身の退部を賭けてまで目標を追い続けました。
一度しかないラクロス部での4年間です。どれだけ必死になってもいいはずです。
コーチや他の方法を考えるのは全てがダメになった時でも遅くはありません。
月並みな表現になりますが、自分が置かれた場所で必死にもがくこと、そうすれば必ず誰かが見ていてくれます。
それでも、心が折れそうになる時があると思います。そんな時、人は優しい言葉に救いを求めがちです。
例えば、最近よく聞く「誰もが自分の人生の主人公だ」とか「多様性」とかいう言葉。
でも私は、こういった言葉がどうしても好きになれません。
それは、かつての自分が、そして今も心のどこかにいる弱い自分が、その言葉を「努力から逃げるための言い訳」として使ってしまうことを、痛いほど知っているからです。
人生を肯定するには、納得できるだけの事実を、自分自身の手で積み上げなければならないと私はそう思っています。
そして私は、主人公になれない自分の人生を耳障りのいい言葉で誤魔化すよりも、その事実を飲み込んでどう生きるかにこそ、意味があると思っています。
主役のいない物語はない。しかし、脇役のいない物語もまた、決して存在しない。あなたが今立っているその場所から見える景色、感じる悔しさ、そして見出す役割は、必ずチームの、そしてあなた自身の物語の、かけがえのない1ページになる。
あなたの足掻きが、必ず誰かの光になっていることを忘れないでください。
自分が愛してやまないRADWIMPSの「夢番地」という歌の歌詞に次のようなフレーズがあります。

僕が立っているここはきっと誰かの願ってる場所で
誰かが立っている場所がきっと僕の望む場所で
誰かがきっと今僕にとっての夢を叶えてくれている
僕もきっと 誰かにとっての夢を叶えている

結局、僕は最後まで主役にはなれませんでした。
でも、最近この歌詞を見て気づかされたことがあります。僕が届かなかった夢を叶えてくれた仲間がいたこと。そして、僕がいたこの場所も、誰かにとっての夢だったかもしれないということ。
自分の物語の主役になれなくても、誰かの物語を支える、誇りある脇役にはなれる。それが、この4年間で僕が得た全てです。

引退ブログでも、少しだけ尖りたいので感謝コーナーは省略して、なるべく自分の口から直接伝える形にしようと思っていたのですが、
正直な話、私はコミュニケーションが(多分)あまり得意ではありません。あ、あくまで得意では無いだけでコミュ障ではありませんので悪しからず。
プレイ中以外は声も小っちゃいしボソボソ喋る、あまり自分の考えを口に出さないので「何を考えているかわからない」と言われることもしばしばあります。
こうした自身の性格も鑑みて、直接は言えないことが大いに予想されるためやっぱり書こうと思います。

家族
今こうして慶應で体育会に在籍していることも、元を辿れば全ては両親の影響に違いありません。
今考えると最早刷り込みに近い環境や教育の結果、遺伝子レベルで早稲田が嫌いになってしまいましたが、当たり前のように「慶應」や「早慶戦」が周りにあった環境は、反骨心から大学受験では早稲田を志望していたことや、この大学に入る前から慶應の応援歌や塾歌を歌えたことと強い相関があるはずです。
勉強や就職のことで多大なる心配をかけましたが、あと少しだけお世話になります。
必ず卒業します。

同期
非常にモラルが終わっていたり、飲み方が汚かったり最低な代ですが、そんなことを余裕で打ち消すくらい最高な代でした。
当然のように日本一になって、ハイキューの北さんのように「どうや俺の仲間すごいやろ」って感じで引退するものと思っていたので、いまだに信じたくないような気持ちでいますが、まずはお疲れ様!
みんながお酒弱者男性すぎて満足に酔っ払うまで飲めたことないんで、もっと精進してください。
卒業旅行楽しみやな。

お世話になったコーチの方々へ
玉置さん、旭さん、荒井さん、加賀さん、清水さん
アーセナルの1年間ありがとうございました。
DFの適性を見出していただけてなかったら正直やめていたと思います。
今自分がアーセナルを指導する立場になってみて、その難しさと当時の偉大さを痛感してます。
またアーセ会やりましょう!!

颯太さん
颯太さんにご指導いただいた2年のシーズンが一番成長できた1年間でした。いろいろ足りない部分もあった中で我慢して指導していただきありがとうございます。
マンツーマンでzoomでオフボール反省会をやっていただいた甲斐あって、オフボールはバリューと呼べるくらいまでなりました。
しかし、颯太さんにクロスが臭いとかいう謎のキャラ付けをされたせいで、いまだに事実みたいになっているのは非常に心外です。

秦さん
1年の終わりから最後は3年の5月まで大変お世話になりました。
最初は本当に、後輩に当たりが強いめちゃめちゃやばい人だと思っていたので、部活に行くのが憂鬱になるくらいでした。
しかし徐々に、ただ単に求めるレベルが高いのと接し方が不器用なだけだと気づきました。
今となっては本当に感謝してますし、段々と認められていってるようで嬉しかったです。
こないだ育成リーグの後、5人のご飯代として10000円置いていった時から、金銭感覚が麻痺してるのではないかと心配してます。

また自分がアーセだった頃、アーセナルのDFコーチだった荒井さんに何も書いてもらえず悲しかったので(荒井さんすいません)DF陣には一言ずつコメントを書こうと思います。
特に順番に意味はないから気にしないでね。

かい
もう今から将来活躍してるところを見るのが楽しみすぎて夜しか眠れないです。
実は怪我がちな部分とか言い方がきつい部分とか心配な部分もあるけれど、来年は苦手な峰岸さんの下で頑張ってね。

もりりん
最近グラボがエロがりがちで一発病になっているのが心配です。そんなグラボを教えたつもりはありません!!
変な放置ゲームばかりやってたり、携帯にスクリーンタイムがあったり、あまりにも陰で不安だけど絶対に活躍できるよ。

こみ
プレイしている時間よりリハしている時間の方が長くなりつつあるね、、
あまりにも1on1のスタイルや課題が俺と一緒で不安になるけど、接点一発で落としに行かないように!
あと、あんまりにも気持ち悪い発言が多いので先輩になってもセクハラとかはしないように。

れん
まずは20番あげられなくてごめん。
けどれんは20番に収まる男なんかじゃないと思ってる。
グラボにもランクリアにも驚かされることが多いから後はオフボールで同じミスをしないように頑張ろう!

ひいろ
今日吹っ飛ばされた衝撃で何を書こうとしてたか忘れちゃった。
そのフィジカルと強度は絶対に武器になるよ。
バックチェック狙いすぎず、足で守るDFになろう。
後輩ができてもあんまり意地悪しちゃダメだよ。

はるま
あまりにも不器用でコミュニケーションが苦手でうまく周りに伝えられてないけど、勝ちたい気持ちは誰よりも持っている熱い人間だね。
ゴーリーを引き受けてくれてありがとうだけど、まだロングやりたいのが言葉の節々に見え隠れしてるよね。
どっちになっても応援してるから自分が思うように楽しんで。
遅刻は程々に!

じんぼ
まずはDFに興味を持ってDMDやってくれてありがとう。
オンボールはマジで良くなってるから、グラボとクロスワーク頑張ろう!
あと部員の皆さん、じんぼは送信取り消しした内容をチェックできるらしいのでLINE誤爆には気をつけましょう。

あさば
最近あまりにもDFばっかりやらせてしまっていて申し訳ないので謝罪としてDF陣に含めてあげました。
イケメンで高身長という二刀流の男。
来季、峰岸がDMDやらせたいのも納得できるくらいOF力もDF力もあるなど、ラクロスも二刀流で羨ましいね。
クリアとかウィングとかあさば任せになっていて申し訳ないけど、チビでブサイクな人間はそれくらい頑張った方がいいよ。

ゆうじろうを上回る長文にしようと思ったのにこれが限界でした。悔しいですね。
このまとまりのない文章はそろそろ締めくくり、バトンを次なる「脇役」へと渡します。

次に登場するのは、群青に染まりし漢、山口源。通称ぽよち
普段から雑ないじりやフリを拾ってくれてありがとう。(上のふりもきっと拾ってくれるよね!!!!!)
中肉中背でYシャツを着崩している姿なんかはくたびれたサラリーマンにしか見えませんが、彼の作り出す投稿やリールは他大学の追従を許さないほどオシャレでかっこいいです。
そんな彼の生み出す激イケな投稿に、もっと多く登場できなかったこと――それが、「主役」になれなかった私の、数ある後悔のひとつです。
3年時からマーケティング部門の設立や、クリエイティブの運営など、慶應ラクロスの広報を支え続け、映像や画像での表現を得意とする彼が最後にどんな「言葉」を残すのか。
非常に楽しみですって言ってプレッシャーをかけておこうかな!
それじゃあ源、よろしく!

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