【日記リレー2025 vol.22】 「かじゅまる奮闘記」~増成琉之助(4年/法学部政治学科/FO/#99/慶應義塾高等学校)~

増田からバトンを受け取りました、増成琉之助です。
間違いだらけの紹介をありがとう。あえてここでは訂正しません。
増田先輩が怖いという話をよく耳にしますが、実際はそんなことないです。石川叶大とかの方がよっぽど恐ろしいです。トイレは1人で行けないし、元カノとのラインでは「死んじゃう」を連発するメンヘラぶり、絶対に言うなと言ったこともポロっちゃう、人間味溢れる可愛いやつです。最近、遊んでいるという噂を耳にしますが、hotなお遊びは程々にして、腰を落ち着かせて欲しいものです。
7年間ありがとう。増田の何気ない一言に救われる瞬間は幾度もあったよ。これ以上書くと、会った時に恥ずかしいのでやめておきます。
始めに、平素より弊部に関わってくださっている全ての方々に、心より感謝申し上げます。今後とも慶應義塾ラクロス部のご支援をお願い致します。
この日記リレーでは自分が大学4年間で考え、見て、経験してきたことを「がじゅまる奮闘記」として素直に記そうと思います。ちなみに表紙の写真は、一番最初にFOをした時の写真です。
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【大学入学前】
面白い程上手くいかなかった塾高ラクロスでの悔しさから、大学では何としてでも選手として大成し、チームの全日優勝に貢献してやる、という気持ちで燃えていた。
大学のラクロス部で挑戦するにあたって、このままMDで続けても4年時Bチームの未来しか見えなかった。30人以上いるMDの中から、6人(1st set、2nd set)に選ばれるような武器が自分にはなかった。塾高時代、あんなに練習したスタンシューも慶大では武器にはならなかった。
考えた末、可能性が最も高いのはFOだと確信した。フィールド能力があれば、ブレイクは勿論、相手FOerを残したままツーマンや1on1、セットプレーなどで得点に絡めると思った。慶應内のFOerとも差別化ができ、かつ完成度次第では社会人に通用する武器にもなると考えた。
「U21の日本代表」と「大学3年でのAチーム出場」を目標に、全てを捧げると誓った。大学1年時はCでフィールドに集中し、大学2年以降から本格的にFOに集中する計画が頭に浮かんでいた。
【大学1年】
入部早々腎臓を損傷して出鼻を挫かれたが、自分のやるべきことが見えていたのでそれほど焦らなかった。復帰後、1ヶ月間毎日500回クランプをした。他にも、2部練、オフの日の塾高練参加、反射神経と体の操作性を高めるためボクシングのシャドー、PFCバランスで徹底した体作りなどに取り組んだ。部活外では、ワールドクロスの運営に参加し、機会があればプロ選手に質問を沢山ぶつけた。
自分ができることは全部試した。
【大学2年】
FOerの怪我が重なり、慶應のFOerは鎌田さん、長瀬さんと僕だけの期間があった。この2人だけには絶対に負けたくなかった。自分の目標を考えた時に、圧勝しなければならないと考えていた。順位をつける練習で最下位になった時は、悔し過ぎてボールアップ中に泣いたこともあった。
この頃から水曜の青学ナイター練に参加するようになった。(東條さんを始め、三國谷さん、コロッケさん、奏互さん、おとべ、わか、こうには大変お世話になりました。)毎週水曜日に青学に行くのが楽しみだった。一個上の相手に勝てるように食らいついていった。
早稲田戦(六大戦)、思いがけないAデビューだった。ブレイクケアをするのが精一杯で、気づけばロンフェになっていた。悔しさを抱けるレベルに達していないから、まぁこんなものかと冷静に自分を捉えていた。目標に矢印は向けつつも、Aの試合に出ている以上はどんな手を使ってでもポゼッションすることに拘った。
自分が弱いということを認識してるからこそ、Aの試合では相手と同じFOという土俵で戦わず、ポゼッションする方法を常に考えていた。FOをせずに笛が鳴った瞬間タックルしてみるとか。
事情が事情だけに、A、B、C全てのチームの試合・練習試合に呼ばれるようになった。練習試合をはしごすることもあったが、苦しいと思ったことはなかった。ひたすら目標に向かって走っていった。
想定より早かったが、早慶戦にも出場した。気づけば全てのリーグ戦に出場していた。選手層が薄い中、自分の役割を果たしただけ。あくまで目標は「U21」と「Aでの活躍」であり、満足することはなかった。
Bリーグの早稲田のスカウティングには「世代最強FOer」と書かれていた。ここで初めて、「U21」に近づいている感触を得た。
【大学3年】
思わぬ形でU21の選考対象外であることを知った。コロナで大会がずれたかなんかで、入部前から決まっていたことらしい。自分の中で何かが崩れ落ちていった。U21という目標がなくなった今、「Aでの活躍」という曖昧な目標だけが残った。部活外の練習量は減り、成長速度も下がった。2部練も1人クランプも少しずつ苦しく、重く感じるようになった。明確な目標が定まらず自分を見失っていった。際立った活躍ができるはずもなく、泥沼に沈んでいくような感じがした。
6月のスーパーカップ、ウィング連携がボロボロでパンさんに叱責された。来シーズンへの危機感から、増田をはじめウィングメンバーで話し合いながら、アフターで自分達だけのウィング練をするようになった。ここで初めて、組織へと矢印が向くようになった。
9月、気づけば、運営面にフォーカスする運営幹部として、毎週木曜に鵜沼達と来シーズンに向けた問題に取り組んでいった。このまま勝ち進めば1月までシーズンが続き、他大学が既に新シーズンと向き合う中、出遅れることは明らかだった。シーズンと同時並行で代替わりの準備をしていった。
過去のシーズンの議事録を読むことから始まり、学生コーチ、社会人コーチ、トレーナー契約、グラウンドなどの問題に取り組んだ。その中で、部の財政状況、グラウンド確保の大変さ、慶應義塾体育会における立ち位置、契約の難しさ、スタッフの仕事などを知り、ここで初めて真に学生主体の意味を理解した。自分が何かを成し遂げたわけではないが、その一員であることに誇りを感じた。
もしかしたら選手としての成長から逃げ、組織のマネジメントに目を向けることで組織に貢献していると錯覚し、自分が価値のある人間だと信じたかったのかも知れない。しかし、慶應ラクロスという組織を知れば知るほど、心から慶應ラクロスのために戦いたいと思うようになっていった。いつからか「何のために戦うのか」が自分の言葉で答えられるようになり、それが自分の信念となって自分を突き動かした。
全日優勝という目標を真に自分の目標と捉えてからは、全日で社会人に勝つために自分も組織も本当にこのままでいいのか?、という「疑いの視点」を常に持つようになった。そして自分が出来ることを少しずつやってみた。
例えばFOの練習強度向上だ。メリハリの無さと強度感の低さは、全日を見据えた練習として向き合うべき問題だった。今までは自分の問題として捉える事はなかったが、組織の目標と自分の目標が合致してからは、自分が変えてやるという気持ちで取り組んだ。メニューを自分から回してみたり、先輩・後輩問わず発破をかけたり、本当にこのままでいいと思っているのかと先輩に直接ぶつかったりもした。
全日で負けた時は本当に悔しかった。心から勝ちたいと思った試合だった。同時に全日という目標の高さを身をもって感じた日だった。
【大学4年】
全日で池田がビハインドゴールを決めた翌日、池田が主将になった。運営面で池田を支えられる自信があって副将に立候補した。もう1人のFOerの春海も候補として上がった。FOerが2人も副将になることは組織として最適解ではないと理解していたので、副将になれなかった場合は、FOリーダーとして、幹部に意見を言える一部員として、どんな形でもいいから組織に貢献しようと決めていた。
副将が春海に決まってから、自分は「育成」と「規則」、この二つで組織に貢献しようと決意した。(「規則」については後で述べる)
FOでは真剣に後輩と向き合った。今年だけでなく、来年、再来年を見据えて後輩と面談を重ねた。目標設定や手段を明確にしていったし、時には厳しい言葉もかけた。シーズンを通して、1人3回くらいはしたと思う。入学してきた塾高組のMDにFOをやらせてみたりもした。
Wingの議論も沢山した。このシーズンはいかに最初の短い時間で基礎を固められるかが勝負だった。メンバーが半分以上変わったので、根本的な考えや基礎を理解する必要があった。皆が無関心にならないようにディスカッションっぽくしてみた。(不評だったが)
自分もチームもうまくいかないことだらけだったけど、少しずつチームが固まっていく感じが自分は好きだった。鳳凰閣やハッチで愚痴を溢しながら同期とチームの未来を語るのも楽しかったし、合宿をするごとに距離が縮まり、学年を超えてくだらない話ができたのも楽しかった。
そして負けた。
7年間を通して一つ伝えるのであれば、
「何のために戦うのか」
これを自分の言葉で言えるようになって欲しい。
1、2年のうちは「自分のため」で良いと思う。ただ、それには限界がある。誰かのために、何かのために戦える人の方が絶対に強い。日々の練習でも、大事な試合でも、もう一踏ん張りする力になる。
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「規則」
私たちはグラウンドを持っていない。日吉のグラウンドも競走部から借りているものだ。長い年月をかけて先輩方が交渉し、競走部や體育會関係者と協力しながら今に至るのだ。少しでもルールを破れば、日吉のグラウンドすら使えなくなる。去年、グラウンドの張り替えの際、素行の悪さからラクロス部のグラウンド利用をやめさせるという話もあったくらいだ。
生田や川崎、大井も使えなくなることも十分ありうる。幾度も苦情が入った。その度に幹部やスタッフが対応していることを知っているだろうか?
自分達の行動一つで簡単に環境が変わってしまう、それが慶應ラクロス部だ。規則は把握して当たり前、上級生がそれを指摘できるようになってほしい。
練習後、ゴミの一つや二つ拾うところから始めてはどうだろうか。
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最後に感謝コーナーです。
阿曽さん
2年間お世話になりました。お忙しい中、合宿参加からベンチワークまで本当にありがとうございました。FOの話よりもくだらない話をしている時間が多かった気もしますが、それも含めて楽しかったです。
清さん・裕太さん
清さん、ウィングや後輩育成の件で大変お世話になりました。ありがとうございました。裕太さん、毎週木曜日のミーティングで鋭い指摘をありがとうございました。是非機会があれば慶應ラクロスについて議論したいです。
【FOの先輩方】
ビクターさん、松澤さん
1年時には大変お世話になりました。まさか99と春海の33で試合に出るとは思ってもいませんでした。
寺田さん、長町さん
あの期間マンツーマンで向き合ってくださりありがとうございました。寺田さんと長町さんへの恩返しをする事が慶應で戦う一つの理由になっていました。
陽世さん
9年間ありがとうございました。僕が提案したことに対して否定せず、毎回やろうと言ってくれるのが嬉しかったです。
長瀬さん、鎌田さん
ありがとうございました。クソ雑魚三銃士と呼ばれていたのが懐かしいですね。お二人の慶應ラクロスと向き合う姿勢はカッコよかったです。
春海
4年間ありがとう。春海の強さに甘えていた部分があったと思う。中途半端な強さで終わってごめん。あの房総合宿で掴みかけた気もしたんだけどね。自分の悩みも組織の悩みも相談できる、良いコンビだったと思う。ありがとう。
【FOの後輩達】
大雅、厳しいシーズンになるかも知れないけれど、自分で背負い過ぎず誰でも良いから相談するんだよ。
竜昇、行動力はマジで凄いなと思っている。結果はどうあれ、全力で向き合う奴が一番かっこいいから最後まで頑張れ。
溝部、この2年間、君の頑張りが沢山の人に良い影響を与えてきたと思う。謙虚さを忘れず、このまま貪欲にいけば大丈夫。
水本、周りからの信頼を得なさい。早くグラウンドに行って真っ先にネットを運んでみたり、オフなしじゃないのに一緒にボールを磨いてみたり、練習後生田のゴミを拾ってみたり。時間はかなりかかると思うけれど、周りから信頼され、応援されるような選手になって欲しい。
一丸、2部練でFOと向き合いながら、MDとしても成長する、そんな姿を見るのが今シーズンの楽しみの一つだった。
かめ、手元が強いFOerになれると思う。だからこそ、フィールドを疎かにしないで欲しい。特にグラボ。2人とも頑張れ。良いライバルになれると思う。
母
塾高では毎朝4時に起きて弁当を作ってくれましたよね。大学では毎朝おにぎりを用意してくれたり、鶏肉とブロッコリーのパックを冷蔵庫に常備してくれたり、本当に感謝しています。親孝行らしいことは全くできてないと思うので、少しづつ恩を返して行けたらと思います。今まで様々なサポートをありがとう。ここまで大きく育ったのは間違いなく母のおかげです。
父
金銭面のサポートは勿論、人生の相談にも乗ってくださりありがとうございました。学費や部費、海外遠征費、FOの道具の費用、交通費など、父の支援がなければまともにラクロスができていなかったです。興味がないと思っていたのに、知らぬ間にラクロスへの理解を深め、家でラクロスについて話せたこと、非常に嬉しかったです。22年間ありがとうございました。
その他にも、関わってくださった全ての方々に感謝を申し上げます。ありがとうございました。まだ試合が残ってる他大学FOer達は頑張ってね。応援に行きます。
次は、松ちゃんです。
他の人が言うとアウトなところ、彼の場合は何故かセーフになります。hip hop と相模原で乗り切ろうとしていますが、みなさん騙されないでください。ノリと勢いでどこまで駆け上がれるのか楽しみです。おそらく日記リレーも音声入力で書いていることでしょう。


