【日記リレー2021 vol.20】「誇れるか」〜鈴木暁友(4年/法学部/C/慶應義塾高等学校)〜

菅川から紹介に預かりました、アーセナルコーチの鈴木暁友です。

彼との思い出で一番涙が出そうになったのは、彼が内定をゲットしたと聞いたときです。その笑顔から人の良さが伝わったみたいで何よりです。

では、早速本題に入ります。

選手として大した結果も残せなかったわりには、2度もわがままを言って選手に固執し続けた僕ですが、そんな僕がコーチになって感じることを含め、自分なりに書けることを書きました。

僕は高校から6年間選手をしていて、Aチームとして試合に出ることは一度も叶いませんでした。

同期が高校の時の話をたまにしますが、僕が覚えているのは、オペが必要と言われた怪我、グラウンドの端や教室でのリハビリ、スタートmtgで想定メンバーに自分の名前がなかったときのことです。

だから「あの場所で試合やったよな」「あいつがこんな点決めて」という話についていけません。

すごく虚しい高校3年間だったと思います。

それを一番感じるのは高校最後の試合、2部残留がかかっていた入替戦のときです。

チームの誰もが勝利を願う中で、僕はチームに勝ってほしいと思っていませんでした。

「この試合が終われば、ほんとに高校3年間試合に出れずに終わるんだ」

と、そんなことで頭がいっぱいでした。

もう一つよく覚えているのは、怪我から復帰し、お試しであげてもらってAチームでプレーしていた際に、ラインで送られてきた人事移動のAチームの欄に自分の名前がなかった時のことです。
リーグ戦直前ということもあり、その意味はなんとなく理解しました。チェーンのファミレスでご飯を食べていました。鮮明に覚えてます。

あのとき、榊田が僕をAで試すよう言ってくれていたらしいんですが、実は感謝してます。Aを経験したことで、皆の凄さを理解して、自分の下手くそさ、甘さを知りました。榊田の期待には応えられなかったけど、感謝してます。

だから、チームで目標を達成する喜びを知らないし、同期がよく言っていた「この仲間とラクロスをしたい」という思いには中々共感できませんでした。

大学に入っても日本一というチームの目標にほとんど興味がなく、自分が試合に出ることばかり考えていました。

しかし、大学に入ってからも三度の怪我を経験しました。そうして、選手としてなんの価値もないままに、2年生になりました。

あるとき、当時Dチームだった僕は、Cチームのみやけいと話す機会がありました。その時、「新人委員という仕事をやろうかと思ってる」とみやけいが言っていて、自分より上のチームのやつがプレー以外でも何かしようとしていることに焦りました。

自分がチームに必要でなくなることが怖くて、新人委員という仕事に僕も立候補することを決めました。

大学でもう一つよく覚えているのは、2年生のシーズン、BURNの代が負けて引退が決まった試合の後、ベンチ入りしていたかみけいが「あの場にいて悔しくなかったことが悔しかった」と言っていたことです。一字一句あってる自信はないですが、こういう意味のことを言っていました。

これを聞いた僕は、スタッフとしてチームに貢献してベンチ入りしていることに大きな意味があると思ったし、悔しくなかったことを悔しいと思えたことが素晴らしいと感じました。

僕はまたしてもベンチ入りできておらず、チームの勝敗にもそこまで興味を持てていませんでした。

そんな僕ですが、選手としての猶予期間を与えてもらった際には、チームに所属する意味を考えざるを得ませんでした。

本来、実力がなく3,4年時にチームに貢献できない選手はスタッフに転向するか退部する、というルールが存在するのはご存知の方が多いかと思いますが、僕はそれに該当する選手でした。

しかし、怪我等を理由に特例として、選手期間の延長を認めてもらいました。それも2度。

就職活動等忙しい時期に個人的な相談に時間を割いてくださった立石さん、川名さん、卓馬さん、安藤さん。下級生ながら幹部として意見をくれた凱章、幸四郎。選手の継続を許してくれた先輩方や同期、後輩達。

本当にありがとうございました。

それと同時に、選手という形で恩返しできず、申し訳ないです。

選手に拘り続けたものの結果を出すことができなかった僕は、6年間のほとんどの時間を自信を持てずに過ごしていました。

経験者組の同期はほとんどが自分より上のチームなので、たまに顔を合わせた時には下のチームで埋もれてる自分が恥ずかしかったし、家で最近部活どうなの?と聞く両親にも話せることがありませんでした。

そんな中、4年生になる際のスタートmtgでコーチになる旨を伝え、選手としての活動を終えました。

前にも述べているように、僕は「チームで目標達成したい」「この仲間と何かをしたい」という思いが希薄で、特にアーセナルコーチになると決めたときは、新しく入ってくる1年生に対して愛着を持って、本気で活動できるか不安でした。

だけど、今の自分はコーチとしての活動に少し誇りを感じていて、同期とたまに会うとき、家族に部活の話をするとき、前よりは自信を持っていられます。

選手の時よりかは結果が少し出てきてるから、僕自身も少し自信がついてきたんだと思います。

このどうしようもない7年のラクロス部の経験を通じて、一つ伝えたかったことは

「今の自分を誇れるか」

ということです。

そして、部活動において誇りを持つためには、「本気」で結果を目指すことが一番だと思います。

コーチに転向した理由の一つはルールですが、コーチになったときには気持ちに迷いはありませんでした。

それは、自分では選手として本気でやれることをやってきたつもりでしたが、本当の本当に本気のやつなら今頃結果が出ているはずだ、と思ったからです。

怪我は多かったですが、スポーツに怪我はつきものですし、その怪我を上回るだけの努力が足りなかったということです。

そして、今はコーチとして「本気」であると言えます。

僕は過去にルールを破って選手を続けました。ただ、あの時コーチに転向して「これで良かったんだ」と自分に嘘をつく2年間より、自分のやりたいことをやらしてくれたチームに「恩返しをしなきゃ」と本気になれる、今のコーチとしての1年間の方が価値があると確信して言えます。そんなこと言える立場ではないですが。

「努力していること」に満足していた選手時代の失敗から「本気で結果を求めて努力すること」が大切と、当たり前のことを学びました。

本気で活躍したくて毎日壁に向かう人、本気でチームを勝たせたくて戦術や人事に悩んでいる人、人の見えないところで地味に見える仕事に取り組む人。

心から尊敬します。応援してます

本気じゃないとどこかで感じている人は、まずは本気を出して、誇りを持てる4年間にしてください。

本気でやっている内に、本気で結果が欲しくなることもあると思います。本気になれるのを待つのではなく、本気を出すのが先なこともあるんじゃないかと思います。

活躍し続けるのも、腐りかけてたところから這い上がるのもかっこいいです。

現状に関係なく、今から何をするかが全て、と伝えられれば嬉しいです。

終わりです。

アーセナルの皆に向けた言葉は引退するときに伝えます。

次は、鈴木勧智です。

慶應の分析力に貢献するアツい思いは尊敬していますが、喋り出すとうるさいのはどうにかならないでしょうか。

そこらへんも踏まえてよろしくお願いします

Share this post

Share on facebook
Share on google
Share on twitter
Share on linkedin
Share on pinterest
Share on print
Share on email