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【日記リレー2020 vol.21】森川敬太

『スリル』

村山君から回ってきました、4年の森川です。高校大学と7年間部活が一緒で、なんだかんだたくさん一緒に遊びにいったと思います。そんな7年間で1度だけ見た彼の涙は忘れられません。社会人になってからも、なんだかんだ時々ご飯を食べに行くような末長い関係でありたいと思っています。

さて最後の日記リレーということで、ラクロス生活7年間を振り返って想うところを少しばかり書かせて頂こうと思います。以下、である調で失礼します。

自分のラクロス人生は、他の人から見てもかなり珍しいものだったと思う。塾高でラクロスを始め、高1の時は一般的な大学1年生と同じようにサマー・ウィンター・あすなろと新人戦を経験した。当然新人戦はこれっきりかと思ったら、3年後の大1の時に再び3大会全てに出場することになった。計6回、しかも3年越しというのは、僕以外なかなかいないんじゃないかと思う。高1の時は、周りの大学生は体が大きく見え、とにかく強そうに感じたのを覚えている。ガリガリだった自分も、実際に何度も吹っ飛ばされた。しかし大学生になってもう一度新人戦に出場する時には、以前のようにビビるというのは全くなかった。体重が15キロ増えたからメンタルも強くなったのかとも思ったが、やはりそれだけではなく、3部だった高校のチームから、ペーペーといえど慶應ラクロスという1部上位チームの環境で練習してきたことが自然と自信になっていたのだと思う。高校生の時見ていた慶應ラクロスという、ラクロスが上手く漢らしい人が多くいるチームのユニフォームを、いざ自分が着て試合に出る時には、それが新人戦だとしても新鮮で心が躍った。

そしてその後、これまた予想外なことに関東ユースにも呼んでもらえるようになった。他大学の上手でパッションがある人たちと交流する機会が増え刺激を受けると同時に、慶應の戦術やスタッフをはじめとした組織体制が発展していることも認識することができた。練習内容やトレーニング・同期で上のチームにいる人のことについてもよく聞かれ、改めてこのチームで練習できることの有り難みを知り、これもまたモチベーションとなった。

このように大学ラクロス序盤では予想外のアーセへの所属、新人戦、ユースといった自分が置かれた新たな「環境」が自分に一種の高揚感のようなものを与えてくれていた。新鮮だからこそ楽しさが既にそこにあった。しかし学年が進むにつれ、そうした新たなイベントというのは減り、以前のように受動的でいても高揚感を得られず、特に矢上で練習をしていた時期などは難しさを強く感じた。練習後の達成感や友人との昼食を食べることへの楽しさは感じていたが、練習そのものへの目的意識や意欲はやはり低くなっていた。今思えば自分で楽しさを作り出す方法はいくらでもあったと思うが、それは自分の中での大きな反省として残る。

思い返せばラクロスでの苦い経験は数え切れない。朝4時半に起きるのが億劫になり、真冬に凍えながら練習場に向かうのが憂鬱になり、良いプレーができずに消沈することも多々あったが、自分にとってラクロスとは総じてスリリングで、生きてるっていう実感を与えてくれるものだった。よくこんなにどきどきする経験をさせてくれたと思う。

そんな刺激的なラクロス部での生活も残りわずかとなった今、ラクロス部を通して関わってくれた人、練習中にゴーリー交代のためメニュー時間をいちいち三分割してくれるスタッフや、ナイスセーブと言ってくれるコーチ・後輩など、1つ1つの日常に感謝したい。

また、塾高ラクロスの人は7年間、アーセの人も4年間、しかも初めの1年間はずっと一緒だったので、同期とは長い時間を一緒に過ごしたと思う。引退まであと2週間しかないけれど、将来思い返した時にも、残された時間は自分にとって間違いなく貴重で濃いものであり続けるのだと感じる。練習前のアップから練習中の1プレー、練習後のチームメイトとの会話まで、最後のラクロス部での生活を噛み締めて過ごしたい。

お読み頂きありがとうございました。

続いて文章を書いてくれるのは矢澤君です。彼との最初の会話は、大学1年の4月に「グラボってどうすればいいですか?」とグラウンドで質問されたことでした。その時は「なんだこいつ」と思いましたが、どうやら僕のことを先輩だと勘違いしていたみたいです。その人と出会った時の初めの会話を覚えていることは稀ですが、彼はそんな数少ない1人です。熱い男らしい文章をよろしくお願いします。

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